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火槍(かそう、とも)とは宋の子窠が考案し、実際に戦闘で使用されたごく初期の火薬兵器。使用した王朝や構造の若干の違いによって突火槍、梨花槍、火門槍、槍砲などと名称が変わる事がある。また現代の中国でライフル銃以前の銃、特にマスケット銃のことを言う場合もあり、その時は前者は火矛槍などと言い換えることもある。 構造は火薬を紙で包んだ物ないし節を除いた竹に火薬を詰めた物を長い柄の先に取り付け、それに火を付けて敵に突き出して炸裂させたり火花を浴びせることによって攻撃や威嚇を行うという兵器。 初期の火薬は不純物が多く混じった黒色火薬であり、爆発力が貧弱だったために火薬のみによる攻撃は望めず、主として威嚇のために用いられ、攻撃用とするにはこの火薬の中に金属片を混ぜることによって殺傷能力を高めて使用した。また、使い捨てが主でそうでない物も構造的に装てんにかなりの時間がかかり使い勝手がよくない上に初期の火薬は不発、暴発が多くさらに射程が短く命中度も低かったため、のちの小銃のように大量生産して大量の兵員に持たせて隊列を組んでの一斉射撃や狙撃による散兵戦を行えることは期待できず、南宋ももっぱら攻城戦での防衛のための兵器として北方から侵入してくる金やモンゴルの兵士に対して使用するのみに留まった。また、金もこれとよく似た飛火槍と呼ばれる兵器を使用しだした。 のちの明の時代には筒を青銅で作るなど多少の改良を加えられ火竜槍という名で北元や新たに勃興してきた女真の勢力に対して同様に使用された。西洋から火縄銃やマスケット銃が持ち込まれ、使用されるようになると次第に使用されなくなっていった。 この兵器が中東に渡り火薬を鉄や青銅で包むような構造とすることによって弾丸が前方にのみ飛ぶように改良されパムディとなり、さらに東欧に渡って1300年頃のロシアのマドファ、同じく同時期の15世紀神聖ローマ帝国のハンドカノンとなってフス戦争などで一般市民や農民が重装備かつ熟練した騎士に対抗する有効な兵器として使用され、これがさらに改良され火縄銃が生まれ西洋における銃火器の元祖となった。 大航海時代のヨーロッパでもファイアランスという名の火槍と殆ど同じ火器が考案、使用されたがこれもやはり攻撃することを念頭に置いていると言うよりは目くらましや威嚇などに用いていたことが多かった。多重に火薬を仕込んでおけば続けざまに炸裂させることも可能で、暴発から身を守るために鎧を着て使用された。 関連項目 |
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