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フィアット 500はイタリアの自動車製造会社 フィアット(Fiat) が製造・販売する小型自動車である。 この名称を用いた車両は期間を置いて3つの系統(初代、二代目、三代目)が存在する。またこれとは別に「500」を意味する「チンクェチェント」の愛称を車名としたモデルも存在する。本項目ではそれら全てについて記述する。
概要初代「500」は1936年から1955年まで製造された。「500A」とその改良による系列型番車両(500Bと500C)が該当する。水冷エンジン、フロントエンジン・リアドライブ方式を採用した。ハツカネズミを意味する「トポリーノ」の愛称で呼ばれた。 二代目は、1957年から1977年まで生産された空冷エンジン搭載のリアエンジン・リアドライブ車である。正式名称は「FIAT NUOVA 500(新フィアット500)」であるが、一般にはイタリア語で"500"を意味する「チンクェチェント」(cinquecento)の呼称で知られている。 2007年3月、NUOVA 500発売50周年にちなんで、3代目となる「Fiat 500」の名を冠した新型車が登場している。1,200ccと1,400ccのガソリンエンジンまたは1,300ccのディーゼルターボエンジンを搭載した前輪駆動車で、デザインはNUOVA 500を踏襲したものとなっているが、中身的には「全く別の車」となっている(後述)。 ほかに、2代目の愛称である「チンクェチェント」を車名に用いて1991年から1998年にかけて生産された前輪駆動車がある(後述)。 初代「トポリーノ」初代500(通称「トポリーノ」)は、フィアット社が1936年に発表した2人乗りの超小型車である。小型車ではあるが当時としては高度なメカニズムを多数取り入れ、戦前・戦後を通じて大きな商業的成功を収めたモデルである。 1930年代中期、フィアット社では1932年に発表した1,000cc小型車「バリッラ」の販売が好調な状態であったが、当時のフィアット総帥であるジョヴァンニ・アニェッリは、大衆向け自動車市場の更なる開拓を目論み、バリッラよりも小型の乗用車を市場に送り出すことを企画した。 「トポリーノ」の開発にあたったのは、元航空機技術者のアントニオ・フェッシアを中心とするチームであった。この設計チームの中に、後にフィアット社の主任技術者として数々の傑作車を開発することになるダンテ・ジアコーザがいた。ちなみに、「トポリーノはジアコーザの処女作」という説が流布しているが、確かに彼は開発に関わってはいたものの主任技術者ではないので、その意味では誤説である。 フィアットは既にバリッラで、アメリカのクライスラー社の流儀に倣った油圧ブレーキと鋼製ボディを採用しており、新しいミニマムカーにおいてもその技術は活かされた。また1935年に発売された流線型の6気筒エンジン車「フィアット1500」での成果を生かし、ミニカーながら流線型のボディを採用したのも斬新であった。フィアット1500は当時としては前衛的な空力スタイルの効果で、1クラス上の旧型2,000cc車を凌ぐ性能を発揮した優秀車であり、前輪独立懸架も採用していた。 愛称である「トポリーノ」はハツカネズミの意味で、その小柄なボディと小さなエンジンで機敏に走り回るさま、そして丸みのあるボンネット脇のやや高めの位置に外付けされたヘッドライトなどによる愛嬌ある外観から名付けられたものである。 メカニズムメカニズムは、シャーシに当時のスタンダードである、独立したフレームを持つ一方、流線型の全鋼製ボディや油圧ブレーキに加え、先端技術である前輪独立懸架を導入した、この時代の超小型車としてはきわめて贅沢なものであった。 搭載されるエンジンはサイドバルブ・2ベアリングという最低限の仕様ながら、上級車種並みの水冷4気筒となっており、569ccの排気量から13.5psを発生した。ラジエターはフロントグリルがエンジン前方で曲線を描いて後傾していることから十分な高さが取れず、エンジン後方のスカットル(バルクヘッド)直前に搭載している。 また、エンジンを前車軸前方にオーバーハングさせ、重心を前方に傾けて操縦性に配慮すると共に、ホイールベース間でドライバーが足を伸ばせる十分なスペースを確保するなどの工夫がなされていた。1934年のクライスラー・エアフローが前方荷重を高めることで操縦性と居住性を改善した成果を小型車にまで敷衍させたものと言え、ヨーロッパでも先駆的な手法を取り入れた車両だった。 ちなみに、ドアのヒンジは前開き・後ヒンジで、現在の乗用車とは逆方向に開く構造である。現代の安全性重視の見地からすると必ずしも好ましくないが、当時はそれよりも乗降性を重視し採用された。 バリエーションと市場の反応500Aは開発当初5,000リラという激安価格での販売が計画されていたが、高度なメカニズムを詰め込んだ結果、製造コストが想定以上にかかり過ぎ、実際の販売価格は8,900リラにまで跳ね上がってしまった。それでも従来の自動車に比べれば大幅に廉価であったことから、イタリアの大衆から歓迎された。 2人乗りの小型車だが、ユーザーたちはお構いなく座席後にまで無理矢理乗り込んで4人、5人乗りを敢行した。果たしてこのイタリア流の楽天的な暴挙により、固定式後車軸を支持する板バネ(1/4カンチレバーリーフ)が折れるトラブルが多発、1938年には後車軸スプリングは1/2半楕円リーフに強化されている。イタリアの国民車として大成功を収め、戦時中の生産中断はあったものの、後継車種の500B(排気量570ccのOHV・16HPエンジンに換装)にマイナーチェンジされる1948年の生産終了までに約12万2千台が生産された。 フィアット資本の入ったフランスのシムカ社でも「シムカ5(サンク)」の名前で1937年から同型車両が生産された。フランスにおいて当時同等サイズの「3CV」級のミニカーがなかったことからヒット作となったが、戦後の1946年に「ルノー・4CV」、1948年に「シトロエン・2CV」という近似クラスの4ドア4人乗り大衆車が発売されると、2人乗りの不利さから急激に販売を減らし、1950年までに生産中止となった。 500Bのイタリア本国での売れ行きは戦後も順調で、1949年にはボンネット周りを1940年代のアメリカ車風にヘッドライトのフェンダー埋め込み化するなど近代的デザインチェンジした500Cが登場。1951年に追加された4座ワゴンタイプの「ベルベデーレ」を含むトポリーノ系列は、生産期間末期まで好調な販売を維持し、後継車種のリアエンジン車「600」(セイチェント)が発売される1955年まで生産された。 トポリーノの系列車は総計約60万台が生産された。 後継車直接の後継車種は600ccリアエンジン車のセイチェント(600)(6人乗りワゴンタイプのムルティプラも含む)である。 トポリーノの登場する映画作品映画「ローマの休日」(1954年)には、オードリー・ヘップバーン扮する王女が悪戯で乗り出すピアッジオ社製スクーター「ベスパ」と共に、カメラマンのアービング(ひげ面のエディ・アルバートが扮した)の愛車として500Bが登場し、持ち主と同様にとぼけた風情を見せていた。 なお作中、ヘップバーンが後部の補助シートで着替えるシーン(映像は主に後ろを見ようとするまいとする男二人)が登場するが、これは小柄なヘップバーンだからこそできたことで、一般的な欧州人の体格では相当な器用さを持ってあたっても、攣ったり打ち身をこさえることは必定である。 2代目 NUOVA 500(チンクェチェント)ダンテ・ジアコーザを主任技術者として開発され、1957年に発売、以後1977年まで20年間の長期に渡り生産された、空冷エンジン・RR方式・4人乗りの小型自動車である。 旧500「トポリーノ」との区別のため、NUOVA 500(新500)と称される。初代500であるトポリーノ直系の後継モデルではなく、異なるコンセプトで設計からやり直した同クラス・別系統車種である。 NUOVA 500には先行して発売されていた600のメカニズムが多くの点で流用されており、同様にモノコックボディのRR(リアエンジン・リアドライブ)車とされた。 開発経緯NUOVA 500の登場に先行し、新型車「600」(セイチェント)が、1955年に製造終了した初代500(トポリーノ)の後継車としてジアコーザの手で開発されていた。600はトポリーノとほぼ同等の全長ながら、リアエンジン・リアドライブ方式の採用などでスペース効率を大幅改善し、完全な5人乗り乗用車として設計されていた。 ジアコーザは600の開発にあたり、「4人乗り車の半分の費用で2人乗り車を作ることはできないのだから」という信念のもと4座化を図った。この実現のためにスペース効率や軽量化の見地からプロペラシャフトを廃した駆動方式を探り、当時前輪駆動車実現には等速ジョイントの実用性が不十分だったことから、より現実的なリアエンジン方式を採用した。 600はトポリーノにも劣らぬ人気車種となったが、フィアット社はこの成功に満足していなかった。 当時のイタリアでは戦後の代替生産として航空機メーカーや鋼管メーカーがこぞってスクーター市場に進出しており、自動車を買えない大衆の「足」として大きな成功を収めていた。フィアットではこれらスクーターを代替する乗り物として、600より更に安価な乗用車を投入することが次なる需要につながると見込んでいた。 このような背景から、NUOVA 500は基本的に600を一回り縮小したモデルとして設計された。600に比べるとスペース的にかなり窮屈ではあるが、5人乗りを実現していた点も見逃せない。2人乗りだったことで競合車種に顧客を取られてしまったトポリーノ時代の反省点と、スクーターとの差別化を図るという点から重要視され、実現されたものである。 一方、ジアコーザはこれを理解しながらも、更なる小型車の開発にはあまり気乗りはしていなかった。その理由は、600こそが自身最良の回答であり、それ以下の構成では、従来車種に対して走行性能での「進化」が見込めない、と考えていたからである。それでも度重なるフィアット側の説得に折れるかたちで設計に着手したが、エンジンを空冷直列2気筒とすることには最後まで抵抗し続けた。実際にはコストや開発期間の関係から、それに変わるエンジンの調達は難しく、最終的にはジアコーサもこの条件を飲まざるを得なかった。フィアットの大々的なキャンペーンや、廉価な価格設定などの効果もあり、ふたを開けると販売が非常に好調であったことから、いつしかエンジン形式の変更の話は立ち消えとなった。そればかりか、その拡大版が126やパンダにまで使われ続ける、大変な長寿エンジンとなった。生前ジアコーザは日本の自動車趣味誌のインタビューに対し、NUOVA 500が多くの人々に愛されたことに感謝しながらも、「あのエンジンを許したことだけには悔いが残る」と語っている。 メカニズム独立懸架機構はフロントが横置きリーフスプリングをアーム兼用としたダブルウィッシュボーン、リアがダイアゴナルスイングアクスルとコイルスプリングという組み合わせで、600の縮小コピーである。 ただしエンジンは600同様の水冷直列4気筒では高コストになるため、簡素でコンパクトなパワーユニットとして479cc・13psの空冷直列2気筒OHVエンジンが開発され、縦置き搭載されていた。最高速度は軽量なボディと相まって85km/hに達した。スプリング利用のマウントなどの配慮はあったが、やかましく振動の激しいエンジンであったため、乗り心地には悪影響であった。NUOVA 500シリーズ最大の欠点でもある。途中までは遠心分離式の汚れ取りを持ち、オイルフィルターは無かった。 車体を全鋼製としたが、空冷2気筒エンジンの騒音が屋根板のせいで車内にこもってしまうため、対策として屋根をオープンにできるキャンバストップを標準装備していた。これにより騒音は車外に発散され、居住性を改善できた。NUOVA 500のキャンバストップは機能的に必須とされたものである。 運転席古い車なので現在の車とは使い勝手が異なる部分が多数ある。
スタイリングNUOVA 500のころころとした丸みのあるユーモラスなデザインフォルムは、設計者のジアコーザ自身が手がけたものである。もともと愛嬌のあった600のデザインを更に縮小して仕上げたような雰囲気を持っている。 ジアコーザが晩年、カーグラフィックTVのインタビューに答えて述べたところでは、自らクレイモデルを毎日撫で回すように手作業で削り出していたら、自然に出来てしまったのだという。また、独特の丸みを帯びた形状は、少しでも軽く仕上げるために、使用する鉄板を減らすべく表面積を減らす意図もあったとも語っている。
ジアコーザと同時代の卓越した自動車設計者であるイギリス・BMC社のアレックス・イシゴニスが、やはり自らのラフスケッチで著名な小型車「ミニ」のスタイリングを仕上げてしまい、デザイナーのピニンファリーナをして「いじる必要がない」と絶賛させた事例がある。機能性に優れた自動車の作り手として知られるジアコーザとイシゴニスが、共に同様なセルフデザインのエピソードを持っているのは興味深い。 バリエーションと市場1957年の発売初期には、スクーターを高価下取りするという荒業の販売施策でスクーターユーザーの乗り換えを促し、それまで2輪車に乗っていたイタリアの大衆を、続々と4輪車に乗り換えさせた。 1959年、排気量を500ccギリギリにまで上げ21.5psに向上させたスポーツモデル版の「スポルト」が登場している。 1960年、「スポルト」のエンジンを17.5PSにデチューンしたマイナーチェンジ版の「500D」が発売。また、水平直列2気筒エンジン搭載で荷室を確保したワゴンタイプの「ジャルディニエラ」が追加された。 1968年、デラックスモデルの「500L」が発売。バンパーを補強するフロントバーが特徴だった。 この他にも数多くのバリエーション(一部にはディーラーが改造した物もあった模様)が発売された。 また、NUOVA 500をベースとしてエンジンやシャシーに改良を施した高性能版が、販売当時アバルトから複数種リリースされている。 1972年 低価格版の「500R」が発売。 この年より500F及び500Lは生産を終了し、最終型である500Rが発売された。同じ年に後継車種FIAT126が発売されたが、500Rはこれの下位モデルとして位置づけられた。500Rは126と同じエンジンである126.000型エンジンを搭載。このエンジンの基本的構造は500F、500Lが搭載していた110F.000型と変わらないものの、排気量は499.5ccから594ccへと大きくなり、馬力もネット18馬力から23馬力へと強力になった。しかし、コスト削減のため、トランスミッション部分はこれまでと同様のシンクロ機構の無いものを搭載した。内装についても500Fと同様にシンプルになり、リアシートは固定式の取り外せないものとなった。車体構造に変化は無いが、唯一フロントエンブレムがFIATの文字のみになり、トレードマークであったヒゲのようなフロントグリル風インテリアはなくなった。 最終的に500Rは30万台以上が生産された。 NUOVA 500はイタリアの国民車として人気を博したほか、ヨーロッパ全土にも輸出され、決して乗り心地は良くなかったが、価格の安さ、経済性の高さと、路地裏にまで入り込める機動性から、各地で好評を得た。少数は当時の自動車大国であったアメリカにおいても販売されている。 1977年の生産終了までに通算で約400万台が製造されている。 世界中の愛好家の存在イタリアやヨーロッパだけに留まらず、世界各国に熱心なファンが存在しており、現在でもNUOVA 500をレストアして愛用する者も多く見られる。日本にもオーナーズクラブが存在する。 イタリア本国でも「500」は広く国民に愛されており、同国内で排気ガス規制と国内産業活性化の推進により旧車の扱いが厳しくなる中、「排気量1,000cc未満で25年以上経っている自動車」に以下の特典を与える法案が検討されている。内容は次の通り。
排気量と経過年数はNUOVA 500に見事に合致するもので、同法案は一部では「フィアット500保護法」とも呼ばれている。なお、これに対しては既に与党を含む超党派の支持団体まである模様で、「同車は歴史遺産のひとつだ」とするコメントも寄せられている。
また、日本ではNUOVA500の車体にレストアでスバル・サンバーのエンジン周りを搭載した車両が販売されたこともあり、愛らしいスタイルの同車種への人気の高さが伺われる。 登場する作品日本ではアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督 1979年)がきっかけで、ルパン三世の愛車の一つとして広く知られることになった。 作中では後部にスーパーチャージャーを搭載し、100HPを発生させる(設定集より)という無茶な改造が施されており、猛ダッシュでの逃走や崖を駆け上るなどの活躍を見せるが、いきなり映画序盤でパンク、直後に手榴弾の爆発に晒され、森に突っ込み、作中を通して「タイヤは丸坊主のスペアタイヤを使用され、フロントガラスは割れっぱなし、ボディーは傷だらけでヘッドライトは片方無くなり、山のような荷物を積まれた状態」で酷使された。 カラーはこの「カリオストロの城」の知名度ゆえに黄色の方がよく知られているが、他にもTV第1シリーズのようなライトブルーがある。ナンバープレートは基本設定として、黒地に白字で「R-33」と書かれたものであることが多い。 ルパンの愛車はその初期には戦前のメルセデス・ベンツSSKにフェラーリの水平12気筒エンジンを搭載したスペシャル、といういかにもヒーロー然とした設定であった。そのような派手な大泥棒ではなく、もっと冴えない「おじさん」としてルパンを描くためのリアルな小道具として、宮崎駿はフィアット500を用いたのである。 なお、『ルパン三世』のスタッフの一人であり、かつてこの車の所有者でもあった大塚康生は、メルセデス・ベンツSSKより描きやすい事なども理由に、カリオストロ~の監督である宮崎駿からこの作品においてルパンの車に設定するよう指示を受けたと話している。ちなみに、劇中のカーチェイスシーンでヒロイン・クラリスが駆ったシトロエン・2CVは宮崎の当時の愛車である。 海外では、ピクサーのCGアニメ作品となる『Cars(カーズ)』に登場し、目や口などがついたコミカルな姿で登場。 設定としては1959年型の車体を持ち、熱狂的なフェラーリのファンである。 ジャック・マイヨールの伝記的映画グラン・ブルーではフロントガラスを取り外し可能でそのまま走行しているものもある。同作のフランス本国における大ヒットで、イタリア国内にあったフィアット500の中古が、表裏様々なルートで大量にフランス国内に流入したとも言われている。 2007年型Fiat 500
NUOVA 500の再来を強調する発表方法(ヴィチェンツァ)
2007年、フォード社と提携し、デザインを一新して排気量も大幅に変更された新型「500」が3月23日にイタリアで発表された。 3代目となるこの「新・Fiat 500」は小さくつぶらなヘッドライトや軽くせり出した前面と丸っこい全体的なシルエット、またはメーターレイアウトなどにNUOVA 500の雰囲気を残すもので、フォルクスワーゲン・ニュービートルやBMWによるMINIなどと同様のレトロ手法によるモデルである。フィアット・パンダとはプラットフォーム、エンジン、トランスミッション、リアサスペンションや電装品の大部分を流用する姉妹車であり、ともにポーランド・シロンスク県で製造される。このことから、新型500は「500の皮を被ったパンダ」とも評される[要出所明記]。搭載されるエンジンは1200cc・8バルブと1400cc・16バルブのガソリンエンジン、または1300cc・16バルブのディーゼルターボエンジンである。2008年次のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。 日本では2008年3月15日より発売。 発売に先駆けて催された日本発表会では、当日サプライズゲストとしてルパン三世の原作者であるモンキー・パンチが登場した。新作アニメーション『ルパン三世 GREEN vs RED』の予告映像が公開され、その中で赤いジャケットを着たルパンが、新型Fiat 500に乗っている姿が映し出された。 500の愛称を車名に用いたフィアット車Cinquecento(チンクェチェント)1991年から1998年にかけて、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)式の小型車「チンクェチェント」が発売された。 チンクェチェントの名称は、2代目NUOVA 500の愛称にあやかったもので、「500」という数字では無く「Cinquecento」とアルファベットで綴られる。エクステリアデザインは2ボックスタイプのコンパクトな直線基調で、かつてのトポリーノや新500とはほど遠い。 搭載されるエンジンの排気量は、デビュー当初704ccと903cc。その後1,100cc版が追加されている。イタリアではElettra(エレットラ)という電気モーターを搭載するグレードも存在した。 フィアットはこのチンクェチェントをベースとして「チンクェチェント・トロフェオ」という名称の競技車両を製作。イタリア国内のラリー選手権を中心に参戦していた。競技車両の開発にあたったのはNUOVA 500時代からの盟友、アバルトだった。 1998年、後継車のセイチェントの発売と共に、生産を終了している。 参考文献
関連項目
外部リンク
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