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ファランクス(希:Φάλαγξ phalanx)は、古代ギリシアにおいて用いられた重装歩兵による密集陣形。集団が一丸となって攻撃するファランクスは会戦において威力を発揮した。
ギリシア式のファランクス紀元前7世紀中期から、コリントスとアルゴスで採用されはじめ、スパルタによって戦術が確立された。アテナイで密集陣が形成されたのは、紀元前6世紀初期である。 参政権を持つ市民によって組織された重装歩兵が、左腕に円形の大盾を装備し、露出した右半身を右隣の兵士の盾に隠して通例8列縦深程度、特に打撃力を必要とする場合はその倍の横隊を構成した。戦闘経験の少ない若い兵を中央部に配置し、古兵を最前列と最後列に配したが、右半身が露出することから、特に最右翼列に精強兵が配置された。同等な横幅をもつ敵と対峙して前進する際、これらの兵士は盾のない右側面を敵に囲まれまいとして右へ右へと斜行し、隊列全体がそれにつれて右にずれる傾向があった。攻撃の際は横隊が崩れない様に笛の音に合わせて歩調をとりながら前進した。マラトンの戦いで、ポリスの連合軍は例外的に、ペルシア軍の矢の雨による損害を減らすために走って攻撃したといわれる。 戦闘に入ると100人前後の集団が密集して陣を固め、盾の上から槍を突き出して攻撃した。前の者が倒れると後方の者が進み出て交代し、また、後方の者が槍の角度を変更することで敵の矢や投げ槍を払い除けることも可能で、戦闘状況に柔軟に対応できる隊形でもあった。逆に部隊全体の機動性は全く無く、開けたような場所で無いと真価を発揮しない。また、正面以外からの攻撃には脆い。 基本的にファランクスは両軍の激突によって攻撃力を保持していたため、一旦乱戦になると転回機動は難しく、機動力を使った戦術としては用をなさなかった。時代が下ると、会戦において数的劣勢にあった側はファランクスに改良を加え、戦力を補完した。テーバイの将軍エパメイノンダスが創設した斜型密集隊形はクルッセ=ファランクス(斜線陣)と呼ばれ、レウクトラの戦いにて、勇名を轟かせたスパルタ軍を数で劣勢にあったにも関わらず打ち負かした。 マケドニア式のファランクス古代マケドニア軍は、通常、縦横6列程度であった密集方陣を改変し、6mの長槍(サリッサ)を持った重装歩兵による16列×16列の方陣を1シンクタグマとし、さらに8列×8列のシンクタグマによる方陣を1ファランクスとした。マケドニア式のファランクスの重装歩兵は、盾を腕ではなく胸に装備させることにより、機動性を若干向上させた。また、両手で長槍を支えることができるようになったのも効果が大きい。 3年間テーバイで人質生活を送ったピリッポス2世は、エパメイノンダスから改良型ファランクスの戦い方を学び取り、マケドニア式のファランクスを創始した。マケドニア式のファランクスでは、本隊の歩兵右側を重装歩兵とし、左側を軽装歩兵とした。右翼には突撃に勝るヘタイロイ騎兵、左翼にはテッサリア人騎兵を配置し、前衛は弓が主装備の歩兵と軽騎兵が担当した。左翼で防御している間に、右翼での敵戦列破壊を行うマケドニア式のファランクスは、側面からの攻撃に弱い従来のファランクスを圧倒した。 このマケドニア式のファランクスはピリッポス2世の子、アレクサンドロス3世に受け継がれた。当時無敵を誇ったこの戦闘教義は、彼をアレクサンドロス「大王」として、世界に覇を唱えさせるに至る。マケドニア式のファランクスは、ローマ軍の軍団(レギオン制)による散開戦術に敗れるまで、地中海世界を席巻した。 ファランクスの語源ファランクスという語はもともとは丸太をも意味した。おそらく上述の重装歩兵は城門に打ち込まれる丸太のごとく敵兵の隊列を打ち破ったのだろう。 ファランクスに似た密集体系は人体にも見られる。手や足の骨である。手の指は拇指以外は3個の骨からなる。それらが5組ずつ整列しているので、解剖学ではこれらの骨を指骨 (phalanges) と呼ぶ。 ファランクスという単語は、ラテン語に取り入れられ、マケドニアを除く古代ローマ周辺の戦争でも用いられたが、これらは単なる密集方陣というほどのものである。 関連項目
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